5年の話
みなさん、おはようございます。
今日で震災から5年が経ちました。
思うことはそれぞれ。
軽々しく、というと何とも悪意のある感じで嫌いなのですが、
それでも震災のことを話すことは、なんとなく自分が話すべきなのか、と思わざるを得ません。
ただ、今回は少しだけ話そうと思いました。
節目な気がしたので。
だから、昔を思い出すことがはばかれる人は、この先スクロールすることをオススメしません。
どうか、そこはよろしくお願いします。
当時、わたしは高校1年生。
金曜日、家庭科の授業中に、それは起きました。
実は二日前の水曜日に、やや大きい地震が来ていたので、
その程度かな?と最初は思いました。
その時は、冷静なクラスのみんなは、誰も机の下に隠れず、
「大きめだね〜」
だなんて話していた記憶があります。
ただ、一応は動物としてのヒトですから、野性の勘とでも言いましょうか。
机の下に潜る必要がある、そう感じですぐにみんなは隠れました。
とても、長い時間揺れていました。
机の足を掴んでいましたが、机の揺れがすごく伝わりました。
たくさんのものが落ちました。
後ろのロッカーから、ものがたくさん出てきました。
わたしは、なんてリアリティーのある夢を見てるのか、そう思いました。
金曜日の1限から6限までの授業を受けて、
そしてこんな大きな地震に見舞われるなんて、すごくリアルだなぁって思いました。
そう思いたかったんじゃないか、と思います。
その日はいつもは持っていかないスマートフォンを持って行っていました。
当時はスマートフォンを持ってる人自体が珍しかったので、今の様になんでも情報がすぐに各自手に入る訳ではありませんでした。
わたしは、まるで異国の地の出来事のように、
どの地域には津波が何時に何メートル到達するのか、周りの友人たちに実況していました。
今思えば、本当に無神経な行為をしていたと思います。
ただ、わたしはそうすることで、
多分自分を少し落ち着かせて、そして事態の状況をしっかりと把握したかったんだと思います。
わたしの住む地域は、海が近い。
そしてわたしの祖母の住む地域は、もっともっと海が近い。
得体の知れない恐怖が、ありました。
小さな弟もいます。
夜は、学校に泊まりました。
校則違反ではありましたが、持参したiPodでラジオを聴きました。
プレートがズレて…そんな内容と、交通情報だけが流れていました。
得たい情報は、何一つありませんでした。
次の日の朝、母が迎えに来ました。
家に帰る途中、遠い空に真っ黒な煙がもくもくと大きく鎮座していました。
まるでアクション映画みたい、と思いました。
家に帰ると、隣の家が水に浸かっていました。
水が、迫っていたということです。
なかなか水は引かず、
魚が泳いでる様子が見えました。
淡水魚と海の魚が混ざってしまうなぁ、と思いました。
水道と電気が復旧するのには、約10日かかりました。
弟と自衛隊の方が届けてくれるお水をもらいに、走って行きました。
1人3品まで購入可能なスーパーに家族で行って、並んで買いました。
いつもはたくさん食べる幼い弟が、
遠慮してあまり食べない姿が少し可哀想でした。
わたしは弟にカップラーメンの少しをあげました。
祖母とは連絡がなかなか取れませんでした。
母は祖母の安否に、携帯で電話を掛けては繋がらない度に、泣いていました。
わたしはなるべくその場にいたくなくて、
でも間違えてその場に居合わせたときは、一緒に泣いてしまいました。
祖母とは震災から2週間後、
近所の方からの携帯から連絡が入り、無事が確認できました。
わたしの中では、
当時のことはいろいろなことが思い出せます。
ただ、何と無く忘れてきてることもたくさんあるのだと思います。
わたしは全然辛くないのです。
もっと辛い人はたくさんたくさんいます。
その人たちを意識すると、
自分のその日を話すのが躊躇われる。
それは少し失礼な気もしました。
だけど、でもやっぱり、
こういう話をするのは良いものかと迷ってしまいます。
無神経かな。
自己中心的な行為かな。
そう不安になっているのは事実です。
このブログを使って、
今回話してみようと思ったのは、対象が限られているから、というのもあります。
たくさんの人に見られるのは、やはりどこかに触れてしまった時のリスクが大きいと考えた結果です。
だから、読んでくれた人はありがとう、そして自己責任だよ。
きっとこの先、震災のことは忘れることはないのだと思います。
自発的な覚えている、とは違います。
忘れられないもの、なのだと思います。
宮城に残っている事実。
でも、いずれは離れていくだろうという予感。
その話は、またの機会にすることがあれば。
できることはしましょう。
募金でも、ヤフーの検索でも、なんでも、
誰かの支えになりたいという気持ちはとても尊いものなのです。
あと少しで時間が来ます。
知ってる人、知らない人関わらず、
ご冥福をお祈りすると同時に、復興の力になれるよう、そして頑張る人たちへのエールを贈るように。
おわり。